コレクトオンブッダ (2003年07月01日 (火) 13時48分)

 今年の八月で齢四十三のレイコの生きがいといえば、九歳になったばかりの子供でもなく、自身が切り盛りするキャバレーでもない。仏像収集である。かといって彼女は何らかの宗派の門徒でもないし、実家が寺だったというわけでもない。彼女は仏像の神格さに魅せられていたのだ。観世音菩薩なのでは駄目。仏陀像でなければ駄目だ。なだらかな肩、柔らかそうな指、赤子のような足の甲。仏像には汚れというものが何一つなかった。
 市営団地の部屋、その一室がコレクション置き場である。戸口に立ったレイコは首を捻ってしまう。なんだかただのモノにしか見えない。それもそのはず、並んだ仏像は言うに百体を超えていた。
「うちにいいモノがあるよ」と言ったのは、店の常連客の立花だった。左手でたるんだ顎をさすりながら、裕福な微笑みを浮かべている。
「いいモノっていうと?」レイコは彼の右手のグラスにビールを注ぎながら、興味を注がれていた。
「いやね、うちのジイさまってのがそれはたいそうな宗教道楽だったんでさ。ありゃ、身の丈一メートルはあるね。金粉がまぶされていて。邪魔なもんだから蔵にしまったるんだけど。よかったらママにやるよ」
「ほんとぉ!」
 というわけで、コレクション部屋にまた一つ愛する仏像が増えたのだが、戸口から眺めるレイコは首を捻る。あれだけ煌びやかだった立花の仏像も、なんだかただのモノになってしまった。
 なるほど。気づいたレイコは翌朝馴染みの骨董品屋を呼んできた。
「これ一体残して、あと全部は持ってってちょうだい」
 そして立花から頂いた仏像だけが部屋にぽつんと立ち残った。なだらかな肩、柔らかそうな指、赤子のような足の甲。仏像には汚れというものが何一つない。心が顕れていくようだ、と、レイコは笑みを浮かべた。

わるい二人 (超短編小説) (2003年07月01日 (火) 19時51分)

 車の中は非の打ち所なく蒸し暑い。なにせ窓を閉め切ったあげく、エアコンも付けていないのだ。
「うーん、暑い」助手席の稲子が呻くと、昭光が言う。
「そりゃ暑いさ。ただ、寒いなんて言わないでくれよ」
 後部座席の香奈枝は静かに汗を垂らす。
 やがて、姉夫婦のアパートに着いた。二人は一目散に車から降り、アパートの階段を駆け上がっていく。何のために? 香奈枝は疑問ばかりが募っている。
 香奈枝が彼らの部屋に上がったころ、稲子と昭光はカップアイスを嬉しそうに食べていた。何のために?
 香奈枝は机椅子に座り、卓上ランプを額に受けながら、姉からの手紙をじっと見つめていた。短く、こう書かれてある。
「人が健全に生きていくためには自分を誇るか、人を蔑むかのどちらかが必要。自分を誇れる者は人を蔑まなくてもいい。自分を誇れない者は人を蔑めばいい。どちらもできない者は私と彼のようにうつむきながら生きる」
 香奈枝は腰を上げた。キッチンに向かう。薄暗闇の中から探し当てた出刃包丁で、自らの首筋を掻き切った。 

あるオタク (詩) (2003年07月01日 (火) 13時28分)

「玉置成美っていう新人がいてさ」
「ああ、俺買ったよ。今聴いちゃっている」
「本当? 早えなあ。さすがトシボー。芸能通でいったら梨本さん以来だね」
「まあ、早いこと寝なよ。明日アキバで小倉ゆーちゃんのイベントあんだろ」
「そうそう。おみやげショットでも撮ってくるよ。じゃ、バイキチ」
「バイキチ」
 と、トシボーは電話を切った。バイキチなどという気色悪い挨拶など私には理解し難いが、トシボーとはそういう男なのだ。
 ファイナルファンタジーの10だか11だかをやっていた最中、おやつのマカダミアチョコレートを切らし、トシボーは愛車のミラでコンビ二に向かっていた。バックサウンドはさっきのとおり玉置成美である。私は踊ったりすることができないが、トシボーはあの踊りをマスターしていた。踊っているのである。運転しながら。
 暗闇をかいくぐるようにして、対向車がヘッドライトを照らしている。トシボーはぴたりとハンドルを握った。対向車はすぎていく。と、トシボーはまた踊り始めた。十五か十六のスピーカの女の子と一緒に歌いながら。

島谷ひとみの十五、六年後 (超短編小説) (2003年07月02日 (水) 07時38分)

「ねえママ」
 洗い物をしていた私の膝に寄り添ってきたのは、六歳になったばかりの一人娘だった。
「なあに?」
 娘は私によく似た黒目勝ちの瞳で私をきらきらと見上げてくる。
「ママって歌を歌っている人だったの?」
 娘の瞳には期待がこもっていた。
 私の微笑みは固まっていたろう。何を言ったらいいものか、彼女の無垢な瞳をただただ見つめるしかなかった。
「ほら、明日も学校でしょ。おねんねしましょ」
 家事に慣れ親しんだ両の手を布巾で拭いていたとき、私は下水管に吸い込まれていく白い泡を見ていた。
 思えば、歌手になりたいという一心で、瀬戸内の小さな島を飛び出してきた。あのときは何も知らない田舎者だった。夢が適ってくれればそれでよかった。やがてデビューし、歌う辛さも、喜びも、知った。歌手であり続けることの難しさも知った。そして、あり続けることの偉大さも。
「ねえママ。ママは歌っていたの?」
「そうよ」
 布団の上で彼女と二人、りの字になりながら、娘の髪を撫で上げた。
「じゃあ歌って」
 私は何も言うことなく頷いた。いつものように子守唄を聞かせてあげる。 そう、たった一人の小さな観客でもいい。夢の中に旅立つ彼女の寝顔があれば、私はいつまでも歌い続けられる。

リリーの十五、六年後 (超短編小説) (2003年07月02日 (水) 07時56分)

「ねえママ」
 煙草を吹かしていた私の前に立ちはだかったのは、六歳になったばかりの一人娘だった。
「なによ」
 娘は私によく似たつぶらな瞳で、私を笑うように見つめてくる。
「ママって小説家だったの?」
 どこから引っ張り出してきたのか、娘は私の大昔のゲラをじゃーんと突き出してきた。
 私の口はぽかんと開いていた。われに返った瞬間、娘の手から大昔のゲラをもぎ取った。
「ほら、明日も学校でしょ。早く寝たらどうなの」
 私は色あせたゲラをくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱にぽいと投げ捨てた。
 思えば小説家になりたいという一心で、関東平野のど真ん中に引きこもっていた。あのときは何も知らない田舎者だった。夢が適ってくれればそれでよかった。そしてその夢も適ってくれず、夢見た辛さも、夢見た恥ずかしさも、知った。そして諦めた愚かさも。
「ねえママ、ママは小説家だったの?」
「違うよ」
 煙草の煙を布団の上の娘の顔に吹き浴びせる。
「じゃああれは何?」
 私は何も言うことなく寝たふり決め込んだ。

定子と清少納言 (2003年07月01日 (火) 18時11分)

 千年の昔、ここは華だったのだ。

「これ、清少納言」中宮定子様は絹のようなお声で女房の私を傍にお呼びにあらせたのです。「童は少々退屈です。清少納言よ、一つ歌ってくださいませぬか?」
 定子様がそう言いあらせるので、私は長いこと考えず、歌を詠み差し上げました。
  夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ
 私がそう詠むと、定子様はふくよかな頬を緩ませ、小さな唇で微笑みくださいました。
「あなたがいれば、私も退屈はしませんね。清少納言」
「定子様」私は苦笑しつつ、少々うつむきがちに言いました「清少納言というのはおやめくださいませ。私は少納言などという立派な官位者ではあらず、宮仕えの女房でありますから」
「なにをおっしゃいますか」定子様は袖を口に当てながら、しとやかに笑われました。「あなたのお父上が少納言でありませぬか。然るにあなたも少納言ですよ、清少納言」
「おやめくださいませ。恥ずかしくて仕方ありませぬ」
 宮殿には笑い声が花咲くようにこだましたものです。
 

千年が経ち、彼女たちの笑い声はもう聞こえない。

歴史を握った男 (超短編小説) (2003年07月03日 (木) 19時01分)

 天下分け目の大一番、1600年の関ヶ原の合戦において、東西両軍の陣形配置図を一目見た海外のとある軍事評論家は「この戦争で勝ったのは西軍デスネ」そう答えたという。もちろん西軍とは、毛利輝元を総大将とした石田三成方である。
 

秀秋は優柔不断な男であるうえ、悩んでいた。我が一万五千の兵は、東西両軍の行方を決定させるに事欠かない兵力である。
 家康からは三十万石の領地を、三成からは関白の官位を、褒章として用意されている。どちらの条件も申し分ないが、どちらも信用ならないのは確かであった。
 父親は、豊臣秀吉の正室、おねの兄。秀吉の義甥であるゆえ、秀吉が出世の道を歩めば歩むほど、自分自身の意図に何ら関わりなく秀秋自身出世した。しかし、私はそれほどの者であったのか。元は尾張中村の地侍の子でしかないではないか。
「殿、家康殿より、ただちに出陣せよとの伝令が」
 これで四度目か。
「殿、三成殿より、今こそ東軍を叩く好機であると」
 三成はそれほどの器であるのか?
 いや。私こそ、この戦に決着をつけてしまえるほどの器なのだろうか。この戦、次の時代を決めるものぞ。次の時代にふさわしき男は、三成なのか、家康なのか。秀秋は歴史の重圧を耐えるように、下唇をぎゅっと噛み締めた。
 どうすればいいのだ!?
 そのとき、空を割るような砲声が鳴り響いた。と、思いきや、砲弾は小早川軍の陣幕を突き破って、陣内で大きく爆発した。
「なにごとか!」秀秋は思わず腰を上げた。
「殿! 砲弾は徳川陣の方角からです!」
 秀秋は、汗も滴るぐらいの思いだった。家康陣はここから近い。いくら一万五千の兵をもってしても、適うに適わん。死んでは元も子もあらん。生きるか死ぬかに、歴史もへったくれも知ったこっちゃない。
 目をかっと見開いた。秀秋は待つに待たせた兵士に宣言した。
「我が軍は東軍につく! 皆のもの出陣せよ!」

なんにもない (詩) (2003年07月11日 (金) 08時51分)

 君と何か話したいけど
 私が何も話そうとしない
 君がつまらない、嫌い
 というわけじゃない
 

 私の言葉は私の弱さだけに
 沿っているから
 私が何か話しても
 君は疲れないだろうけど
 私は疲れてしまう
 つまり
 誰とも話したくないということ
 

 君が私から去っていったのも
 仕方ないことだろう 


電車の中から (詩) (2003年07月12日 (土) 08時46分)

 高層ビルのひしめき合う新宿。
 車窓に広がる夕焼けがとても好きだった。
 むらさき帯びた雲が流れていた。
 人々の影は濃くなっていた。
 確かにさまざまな影が浮かび上がっていた。
 疲れた人もいたし、意気揚々とした人もいた。
 

 車両の沈黙はなにより素晴らしかった。
 彼と彼との縁は何もなかったが、
 今日だけの縁ならあったはすだった。
 私はあまり寂しくなかったものだった。
 

 人波の中でなら孤独でいれた。
 孤独を意識していたからだった。
 だから、それは孤独ではなかったんだ。
 

 過去を振り返った。
 そして戻ってきたとき、
 私は孤独だった。

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